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【所長日記】同潤会江古田分譲住宅の佐々木邸を見学する―驚き!練馬にこんな歴史的住宅があるなんて―

練馬まちづくりセンター所長小場瀬令二 練馬まちづくりセンター所長 小場瀬令二 2013.4.11

先日同潤会江古田分譲住宅地内の佐々木邸を見学する機会を得た。この住宅はNHKの「美の壺:昭和レトロの家」などでも紹介されたので、ご覧になった方も多いのではないかと思う。現在文化庁指定「登録有形文化財」にリストアップされているように昭和初期の貴重な歴史的木造住宅である。

■同潤会アパートメント
同潤会という組織のルーツは大正12年の関東大震災にたどり着く。関東大震災のあと各地から義捐金が集まり、その中の1000万円を基金として当時の内務省が立ち上げた財団法人である。この組織はその後、住宅営団になり(昭和16年の戦時中)、戦後解散した。公的な住宅供給を準公共的セクターが担当しようというものであり、戦後の住宅公団にこの思想は引き継がれ、今日のURにまで脈々と続いている(必ずしも住宅営団と住宅公団とは連続性はない)。当初は関東大震災後ということもあり、仮設住宅も手掛けたが、その後耐震耐火性の高い集合住宅を震災復興の一環として東京・横浜地区で計画・建設をした。その集合住宅の方は仮設的なものではなく「東洋一のアパートメント住宅」の供給を目指した。その結果戦後も住宅ストックとして長期にわたり維持・利用された。しかし寄る年波に勝てず、青山アパート⇒表参道ヒルズ、渋谷アパート(代官山)⇒代官山アドレスなどをはじめ、建設された集合住宅16棟のうち15棟は取り壊され再開発されて今日に至っている。(最後まで残っていた同潤会上野下アパートメントも取壊しの予定とか)


建設当初の青山同潤会アパート(原宿)

同潤会によって整備された集合住宅は、当時の建築界のそうそうたるメンバーが計画に加わり、かなり質の高いものであった。電気・ガス・水道は当然のことながら水洗トイレ、ダストシュータがあるだけでなく、エレベータ、食堂、共同浴室、談話室、売店、洗濯室に加えて、音楽室・サンルーム等も整備されているアパートメントもあり、先見性のある計画であった。しかし、建設費が掛かり、基本は賃貸住宅であることから中々採算をとるのが難しかった。


■同潤会分譲地
そこで震災復興が一段落する昭和3年(1928年)以降、今度は郊外地の戸建て住宅団地の開発にも同潤会は手を出すようになった。今でいえば、建売住宅団地である。都内と川崎・横浜市内で20か所524戸の開発が実施された。戦前の開発であり、戦災を受けたところも多く、木造住宅であったこともから、今日まで原型に近い形で残存している住宅は極めて限られている。その一つが江古田分譲地内の佐々木邸である。同分譲地は昭和9年開発され30棟が整備され、敷地面積は100坪から150坪程度で住宅の延床は25坪程度である。(参考:東京都近代和風住宅総合調査報告書/平成21年3月/東京都教育委員会)


江古田分譲住宅案内のパンフレット

■佐々木邸
江古田駅から3分程度の位置にある佐々木邸は一部増築された部分があるが、ほとんどは建設当時の原型を保持している。家全体は和風であるが、玄関は入るとすぐ横に洋間の応接室兼書斎がある。また中廊下が配置され、客間、お茶の間などに玄関から直接行けるようになっている(それ以前の住宅では廊下という考えが余りなかった)。これは大正時代から始まった住宅の近代化の計画理論であり、この計画理論は今日まで受け継がれているといえる。また南側には広縁があり、そのテラス窓の上には長い丸太の梁がかかっていて見学者の目を見張らせる。8畳の客間には一間の床の間と一間の違い棚が配置され、柱はすべて無節で高級材料を使った設えになっている。今回その床の間にひな祭りの「五人囃子」が飾られていた。


高貴な感じの五人囃子が立派な床の間を飾る

この人形がまた高貴な感じ。
それはそのはずで、佐々木家は鳥取藩の池田家に仕えた武士で、江戸から明治になる変革期に下賜されたものだそうである。高級感に加えて権威を感ずるのが玄関横の洋間の応接間兼書斎。自ずとそれが醸し出されるのは、この当初の購入者の佐々木喬は東京帝国大学農学部の教授であったためだろう。

■古老の話
今回の見学会にはこの住宅がある小竹町の町会の文化部長が呼びかけて30人余りの方が参集した。初めに邸宅内を見学したのちに、古くから小竹町にお住いの篠五三郎さんから小竹町の昔から現在までをお話を伺うことが出来た。大正13年生まれで現在89歳になろうという篠さんは、農業に従事して来られた。


昔のお話を頂いた篠五三郎さん

子どもの頃は、このあたりは一面畑で、多品種の野菜を栽培されていたそうである。それら収穫した作物は朝早く大八車で引っ張って神田市場まで売りに行ったそうである。昔の方は偉かったと頭が下がる。また小竹町のお正月は、男が料理などを全部やり、女性は休むというお話など興味深い話の連続だった。
佐々木邸が地域の核となり、伝統的な生活や生業を後世に伝えていく生きた空間になることを祈念しながら、見学会を後にした。


昔話に熱心に耳を傾けた見学者でいっぱいの佐々木邸の客間。
椅子に座っておられるのがお話しいただいた篠五三郎さん。

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