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~バラの文化誌をちょっとお散歩~

【所長日記】大泉学園町にはバラが似合う?!

~バラの文化誌をちょっとお散歩~

みどりのまちづくりセンター所長小場瀬令二 みどりのまちづくりセンター所長 小場瀬令二 2016.08.10

※画像をクリックすると拡大します。

<大泉学園町のバラ>
 私は、どちらかといえば「花より団子」の人間である。5月の終わりに、大泉学園町で「ちゃ
い旅」のイベントをみどりのまちづくりセンター主催で開催することになり、にわか花を愛す
る人間にとっさに変身。「ちゃい旅」とは、街中のお宅のお庭をめぐって楽しもうという企画
である。昨年11月に第1回を開催し、今回2回目であり、天気にも恵まれ地元の方々にも大変喜
んでいただいた。風流を解しない私ではあるが、バラをいっぱいに植えているお宅の担当とな
り、朝から「ちゃい旅」の看板を取り付けるためにバラのあるお宅をお訪ねした(ちゃい旅の
企画に賛同してくださったお宅には、当日看板を掲示させていただいた)。お花を愛するとい
う目で大泉学園町を歩いてみると、ちゃい旅に賛同していただいたお宅以外にもバラが美しい
お宅が沢山目に留まり、なんで大泉学園町には、バラが似合うのか、文化誌的に考察してみた
くなった。しかし、関連する本を読んだり、インターネットを調べたりすればするほど、その
奥深さに参った次第。そんなことで、この文章は、何故「大泉学園町にはバラが似合う」と思
い込んだかを、いくつかの自分の妄想を整理した次第。

※「ちゃい旅」についてはこちらのページをご覧ください。
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5月28,29日に大泉学園町で「ちゃい旅」企画を実施した

<バラが初めて登場したギルガメシュ叙事詩>
 歴史上の文献にバラが初めて登場するのは、文明が起こって2500年程度経過した頃であ
る。人間が農業をするようになり、大河川沿いに古代文明が出現すると、特権階級は花を
観賞し、壁画には花の模様が描かれるようになった。その中で、バラが初めて文字となっ
て記述されているのは、紀元前2600年ごろのシュメールの都市国家ウルクに残る「ギルガ
メシュ叙事詩」の中である。バラは花の中でも、すでに特異な位置づけをされ、すでに目
立っていたのかも知れない。(なお、この叙事詩には、旧約聖書に出てくるノアの方舟の
話の原型となる逸話が書かれていることでも有名である。)
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バラが初めて記述されたギルガメシュ叙事詩の一部(楔形文字で刻まれた粘土板)

<バラのお風呂に入っていた人といえばクレオパトラでしょう!?>
 世紀の美女といえば、クレオパトラ(BC69年〜BC30年)だが、バラをこよなく愛したと
いわれている。後世の作り話かもしれないし、俗説や嫉妬話などが入り混じっていそうだ
が、彼女は牛乳風呂に入り、バラの花びらを湯船に浮かべ、ローズオイルをお肌に塗って
若々しい肌を保っていたらしい。寝室にもバラの花びらを敷き詰めてという話になってい
る。その美貌と香りで、シーザーや、アントニウスを恋の虜にし、歴史の歯車を自分の都
合の良い方向に持っていこうとした。バラの香りの効能につては、クレオパトラより約100
年後のローマの軍人であり、博物学者であったガイウス・プリニウス・セクンドゥスがAC76
年に著した『博物誌』の中で次のように書いている。
 『クレオパトラは浴槽にバラの花を満たした「バラ風呂」によって肉体を若々しく保っ
た』と。これが、真実かどうかは分からないが、少なくても当時巷ではこのような情報が
流布されていたことは確かであろう。
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ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus、22 / 23年 - 79年8月24日)は古代ローマの博物学者、政治家、軍人。ローマ帝国の海外領土総督を歴任する傍ら、自然界を網羅する百科全書『博物誌』を著した。一般には大プリニウスと呼ばれる。『博物誌』37巻の大半を書き上げた(ウィキペディアより)。
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 大プリニウスが書いた「博物誌」

 この軍人さんが、海外領土総督の任にあった時は、もっぱら博物誌の研究に没頭できる
ほどローマは平和だったのである。(しかし、肖像画で見ると、謹厳実直そうなこの軍人
であるが、クレオパトラのバラ風呂について記述していることは何とも、面白い。世紀の
美人については、特に古代ローマの軍人としては興味があったのだろうが)

<ボッティチェリーが描いた「ヴィーナスの誕生」を再点検する>
 古代ギリシャの時代になると、文化の中に植物がちりばめられ、神話の世界と花は切っ
ても切れない関係となっていく。これ以降、バラは本格的に文化誌の中で重要視されてい
く。古代ギリシャ・ローマ時代では、バラはヴィーナスとかかわりがあり、キリスト教で
は、バラはマリア信仰のシンボル対象となっていった。さらに、ルネッサンス時代、ボッ
ティチェリーが描いた有名な「ヴィーナスの誕生」では、バラを象徴的に描いている。こ
の絵の中心には、ヴィーナスが貝に乗って、陸地に上陸した瞬間が描かれており、左側の
2人は、西風の神ゼフュロスと彼の妻である花の女神フローラである。西風の神は、風でヴ
ィーナスが陸に着地(?)できるように風を起こしているのだ。フローラの方は愛しい夫
に抱きついてともに空を駆け、ヴィーナスの聖花であるバラを辺り一面にまき散らしてい
る。ということで、バラは「愛と美」の象徴として表現されている。(なお、右側は季節
の女神であるホーラたちの一人が、花でおおわれた外套を女神へと差し出している。)
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    ボッティチェリーが描いた「ヴィーナスの誕生」

<バラの紋様>
 歴史上の事件でバラといえばすぐ思いつくのが中世イギリスで戦われた「バラ戦争」
であろう。この戦争は、百年戦争終戦後の1455年に発生したイングランド中世封建諸侯に
よる内乱である。王家の血を引くランカスター家とヨーク家の、30年に及ぶ権力闘争であ
る。最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くテューダー家のヘンリー7世が武力でヨ
ーク家を倒し、ヨーク家の王妃と結婚してテューダー朝を開いて、戦争が終了。このラン
カスター家が赤いバラ、ヨーク家が白いバラを紋様にしていたことから、この戦争の名前
となった。
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 戦争が終了し両家が和解して成立したテューダー家の紋様は、両家の紋様を合体したテ
ューダー・ローズである。テューダー王朝で日本人が一番知っているのはエリザベス1世
であろう。彼女の肖像画はいくつもあるが、その一つをよくよく見ると、服にバラの紋様
が縫いこめられていることが分かる。
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テューダーの薔薇の紋様とオコジョの毛皮で飾った即位衣を纏うエリザベスⅠ世。

ただ彼女は結婚しなかったので、このテューダー王朝は、彼女を持って終わりとなった。
 そこで今度は、現在の英国皇室の紋様はどのようなものなのかも興味が湧いて、調べて
みた。そうすると、紋様の下の方にこのテューダーのバラがきちんと描かれている。
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<大泉学園町のバラはロイヤルな香り!?>
 たまたま私の脳味噌に貯蔵されているバラに関わる歴史上の事件等について説明した。
バラの花ことばは「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」であるとともに、王家や女王と結びつ
いた象徴的な意味合いがありそうである。練馬区の中でも計画的に整備された特徴的な住
宅地の一つである大泉学園町にバラが似合うのは、「愛や美や情熱や恋」とともに「ロイヤ
ル」的な雰囲気が醸しだしているせいかもしれません。「ベルサイユのばら」の話は割愛
したが、私の妄想にはこれが一番利いているという極めて単純な話なのかもしれない。