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【所長日記】楠の香りに導かれて

みどりのまちづくりセンター所長小場瀬令二 みどりのまちづくりセンター所長 小場瀬令二 2016.10.12

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<香りは原初的記憶を喚起する>161012proust.jpg
 「香り」は人間の原初的な感情や記憶を呼び起こすことが分かっている。かの有名なマルセル・プルースト[1871-1922]が書いた有名な著書「失われた時を求めて」の中に、紅茶に浸したマドレーヌの香りをきっかけに子供時代の情景を思い出すシーンがあるが、これは「無意志的記憶」と言うらしい。

                            
                                 マルセル・プルースト
                                    (wikipediaより)

<クスノキの香りから子供時代の記憶がよみがえる>
 みどりのまちづくりセンターでは先日、「森もりファンクラブ」というイベントを開催した。このイベントは、区内にある47か所の憩いの森という資産を使って、緑生活の楽しさを知ってもらおうというものである。今年度は、南高松憩いの森で、すでに2回目を実施し、緑の発見やそこに住む虫や鳥の多様性の探索などを行った。インストラクターがつくので、実に楽しい催しだと主催者としては考えている。参加者の方々やインストラクターの方と森の中を一緒に歩いたら、「この木は楠で香りがしますよ。これは樟脳の原料なのです」と葉っぱを取って、香りを嗅がしていただいた。プルーストではないが、この香りは、自分の子供時代の記憶をよみがえらせた。

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南高松の憩いの森で「森もりファンクラブ」を開催。
インストラクターの話に感激

<縁日の樟脳舟>
 子供時代の縁日の思い出といえば、縁日の入口付近に陣取った屋台で、洗面器の中をセルロイドで造られた舟が不思議な動きをするのだ。小さな舟の後ろに樟脳の結晶を取り付けて、動くのである。縁日の夜、裸電球に浮かび上がるその輝きは忘れられない。その時の樟脳の結晶の香りが、南高松の憩いの森で想起(そうき)されたと言う訳である。

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水面をセルロイドの舟が動き回る
http://www.uminekoya.co.jp/syonobune.html


<忘れてしまわれた樟脳>
 そこで樟脳について調べてみたら、すっかり今日の日本人には忘れ去られていたことを発見。特に画期的なことではないのですが、「クスノキ」が「お金を産む木」だったなんてーーーー。感嘆しました!!(参考図書「楠」法政大学出版局、矢野健一、矢野高陽)。今、クスノキを見て我々は、金になる木だとは思いませんが、江戸時代から戦前までは、金になる木だと多くの人間は認識していた。そのためにクスノキが大量に伐採され、数が少なくなって困った時期もあるといわれると、信じがたいというのが現代日本人の感覚だろう。

<お金になる木>
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「NIPPON CAMPHOR=(カンフアーとは樟脳の意味)」社のマーク
「精製樟脳史」(昭和13年4月30日、日本樟脳株式会社)より

 クスノキは樟脳の原料になる木である。漢字は「楠」と「樟」の二つがある。樟脳の原料になるのは主に後者の様ようだ。16世紀に、中国から樟脳の造り方が伝わると、日本でも南の地域では、樟脳の生産が盛んになった。それが、鎖国時代のオランダへの輸出品となった。開国された後も、西洋列強が樟脳を欲しがっていることが分かると、樟脳は藩の専売物として販売品の主要なものとなり、樟脳の生産のためにクスノキが伐採され、チップにされ、水蒸気蒸留して、結晶として生産されていた。この樟脳は、虫よけの材料だった。その内に、火薬の材料になったり、セルロイドの材料にもなった。明治以降も、我が国の重要輸出品となっていたのだ。この儲けで、三菱財閥の創業者岩崎弥太郎や神戸の鈴木商店(昭和の金融恐慌で有名、後の日商岩井、現在の双日)は財をなした。特に日清戦争の勝利によって、台湾が日本の植民地となり、クスノキの入手にはさらに力こぶが入った。台湾のクスノキから樟脳を生産する関係で、国の専売制度が導入された。樟脳の輸出業者も神戸や大阪に軒を連ねた。何しろ先述した鈴木商店は三井、三菱を圧倒するほどの利益を上げた。
 しかし、その後、台湾からクスノキを輸入しても原料不足に悩むようになる。また、化学工業の発展により、虫よけとして「ナフタリ」が、セルロイドの代わりに「プラスチック」といった化学製品に代替えされるようになる。

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鈴木商店本店(神戸市)
『英和日本商工人名録』(1918発行)より -神戸大学附属図書館所蔵資料


このため、需要は減り続け、戦後は専売制度も昭和37年には廃止され、ついには「樟脳」という言葉は知らない人が多くなったと言う訳である。

<気付け薬(カンフル剤)とは樟脳のことだった>
 樟脳はオランダ語で「カンファ―」と言って、実際、気付け薬に使っていた。強心剤として、樟脳の注射を使っていたこともある(現在は使われていないそうです)。梵語の「カンフル=純白の意味で、樟の割れ目などに生じた樟脳の結晶のこと」という単語である。いわゆる「日本経済にカンフル剤を打つ」という時に使うカンフル剤とは、この樟脳のことだったのだ。

<クスノキの巨木>
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春日町の寿福寺のクスノキ
 
 また各地の神社やお寺などの境内に、巨木のクスノキが保存されている。これらの巨木は、江戸時代から戦前の「樟脳ブーム」の中で伐採を免れた樹木ということになる。練馬区でも、春日町の寿福寺にクスノキ(所在地:東京都練馬区春日町3-2-22)の巨木がある。高さ20m、直径3.6m(根回り11.3m)もあり、十分巨大である。しかし、上には上があり、一番大きなクスノキは鹿児島県の蒲生八幡神社境内にある。そびえ立つ大楠は、樹齢約1,500年、根周り33.5メートルあるそうだ。目通り幹囲24.22メートル、高さ約30メートル、根元の内部には直径4.5m(約畳8畳敷)の空洞がある。
 しかし練馬のクスノキも十分大きいので、見に行くに値する。

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鹿児島県の蒲生八幡神社境内にそびえ立つ大楠は、樹齢約1,500年、根周り33.5メートル、
目通り幹囲24.22メートル、高さ約30メートルと日本で一番大きな楠

(http://www.kamou80000.com/okusu.htmlより)