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【所長日記】五右衛門風呂で極楽かな、極楽かな! ~カマのゲス的蛇足~

みどりのまちづくりセンター所長小場瀬令二 みどりのまちづくりセンター所長 小場瀬令二 2017.1.5

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 先日、古民家の保存とコミュニティ再生の活動されているお宅で、五右衛門風呂を再現したというので、さっそく体験させていただいた。五右衛門風呂は、湯船全体からの遠赤外線で体が温められるので、極楽、極楽である。本格的な五右衛門風呂で、外側は「人研ぎ(=人造大理石研ぎ出しと言って、人造大理石を研磨して作られる)仕上げ」である。湯船の中に浮かべる板(ゲス板=こたつの上に載せる板、一日中温かく猫が寝ている場所のことで、役立たずが一日ごろごろしている場所の意味)まできちんと付いているのだ。上がり湯用の小さな湯船もある。
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 昭和9年に建築されたこの住宅では、当初、五右衛門風呂が設置されていたが、途中で現代的なタイルのガス風呂に替えられてしまった。そこで、古民家の保存を進める中で、「この住宅にふさわしい五右衛門風呂を再現した。」というのがこの家のオーナーの話。釜自体を作っているメーカーは広島に一軒しかなく、それを手に入れること自体が大変だったそうである。それを建築史の専門家のアドバイスや資料に基づいて設置するのが、またまた大変だったとのこと。さらに、ご近所の長老から、以前の風呂の焚口や煙突の様態についても繰り返し聞き取りをした結果、薪で焚く伝統的な五右衛門風呂を見事に復活させた。湯船周りの再現も、手間暇のかかる人研ぎで再現。左官屋さん直々に腕を振るってもらった。かくして、本物指向で五右衛門風呂が再現されることになったのだ。また、別途「人研ぎ体験講座」を近隣住民の方や学生さんやみどりのまちづくりセンターの所員向けに左官屋さんに開催していただいたそうである。

<弥次喜多は五右衛門風呂を知らなかった?>170104teppoburo.jpg
 五右衛門風呂と言えばすぐ思いつくのは、江戸時代の滑稽本の「東海道中膝栗毛」。その中の、小田原の宿場の話で、弥次さん喜多さんが五右衛門風呂にゲス板を沈めて入浴することを知らなかった。それを単なる湯船のふただと思い、それを取り出して、直に五右衛門風呂に入り、足の裏を火傷しそうになった。そこで、雪隠(せっちん=トイレ)の下駄を履いて入ったところ、釜の底を抜いてしまう段である。
 江戸時代、五右衛門風呂自体は上方で流行ったものであり、関東では鉄砲風呂と言われていた木の桶の中に鉄製の釜を仕込んだもので風呂を沸かしていた(図参照)。これはもっぱら江戸で流行っていた。そんなことで、弥次さん喜多さんが、五右衛門風呂に入る時に、ゲス板を使うことを知らなかったのも、当然と言えば当然である。なお、鉄砲風呂は、     鉄砲風呂は江戸で流行っていた
今日の風呂に近い構造になっているが、さらに遡る
と、釜ではなくて単に鉄の筒で、そこに炭などを入
れて水を温めていたようである。
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十辺舎一九著「東海道中膝栗毛」 国立国会図書館所蔵

 再度、弥次さん喜多さんの入った五右衛門風呂の挿絵をよくよく点検してみると、木製樽の風呂で、我々がイメージするオール鉄製で出来た五右衛門風呂(長州風呂)とは異なる。当時はオール鉄製で造るのは大変だったらしく、この木製の樽の底が鉄製の鍋状になっていて、その下から燃料を燃やすのが一般的な五右衛門風呂のようである。図版でもわかるように焚口はあるが、煙突がなくて、お風呂に入っている人は、煙が焚口から逆流してきて、煙たかったようである。挿絵でも、炎なり煙が焚口の方に逆流してきているが、入浴者に極力煙が行かないように、焚口の上に板などが斜めに打ち付けられている。またこの挿絵には、「水風呂の釜を抜たる科(とが)ゆへに、宿屋の亭主尻をよこした」と説明書きがある。この説明書きの「水風呂」とは、いわゆる冷たい「水」の意味ではない。当時は「行水」もしくは、石を焼いて、水をかけて蒸気を発生させて入浴する「蒸し風呂」が一般的であったのに対して、「水」を温めて入浴する風呂を「水風呂(すいふろ)」と称していた。「科=とが=咎」のことで、「しくじり」の意味である。さらに、宿屋の亭主が「尻をよこした」と書かれている。この「尻」とは「尻拭い」といった言葉で使う「尻」の意味である。「尻をよこした」とは、「文句を言ってきた」、もしくは、「弁償しろと言ってきた」という意味であろう。


<石川五右衛門が釜ゆでになった風呂>
 ところで、石川五右衛門なるものが、豊臣秀吉の逆鱗に触れ、京都で釜ゆでの刑になったことは、本当らしい。いろいろな史実に加えて、スペインの貿易商人「ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロン=16世紀末から20年間長崎に滞在していた」が「日本王国記」の中で、この釜ゆでの刑について記述している。
 江戸時代になると石川五右衛門にまつわる歌舞伎などが大流行し、浮世絵にも描かれている。その浮世絵によれば、石川五右衛門は、子供と一緒に釜ゆでとなり、子供が苦しくないように持ち上げて、釜ゆでに耐えている絵柄になっている。この絵に出てくる五右衛門風呂は、今日われわれが知っているオール鉄製で出来た五右衛門風呂である。特注品だったのかもしれない。少なくとも、お寺の釣鐘を鋳物で製作する技術があれば、五右衛門風呂の釜など朝飯前に造れそうである。ただ、オール鉄製の五右衛門風呂は、明治中期から一般に売り出された。「昔の暮らしの本」(岩波書店)などを参照すると、上部が木製の樽の五右衛門風呂は、古い形の五右衛門風呂だそうで、鉄は非常に高価だったので、釜の下のみ鉄製で、ぼろ布で木製の樽との隙間をふさいでいたと説明されている。オール鉄製の釜のものは、明治の中期になって広島の鋳物職人が製作し、当初は「芸州風呂」とか「広島風呂」という名前で売り出した。当時は明治時代で「長州」という言葉の方が世間受けが良かったのか、「長州風呂」と改名したのだ。その内に、江戸時代の底が鉄で本体は木製の樽の五右衛門風呂はすたれて、このオール鉄製の長州風呂を五右衛門風呂と一般に言われるようになった。
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           『桜門五三桐』
    五右衛門の処刑 一陽斎豊国 画 『石川五右衛門と一子五郎市』
   国会図書館 デジタルデータより

<「カマ」に関する「ゲス的蛇足」>
 五右衛門風呂を調べていく中で、「カマ」なる単語に「釜」、「窯」、「竈」などの漢字があてられる。その違いもよく分かっていなかった。「そんなことも知らないで、ブログを書いているのか!!」とお叱りを頂きそうだが、その違いがやっと分かった。「ゲス的蛇足」かもしれないが、整理してみた。

 「釜」はご飯を炊いたり、お湯を沸かしたりするカマの意味。形態的に似ているためか火山の火口などもこの字を当てられている。「釜」なる漢字は、「父」と「金属」の合体した象形文字で、「父」は強い統率を意味する。
 「窯」は肉や瓦、陶器などを焼いて、堅くしたり焼いたり乾燥させる目的で熱的に絶縁された空間のカマの意味。ピザを焼くカマもこの字を当てている。「窯」なる漢字のウ冠は穴住居を意味し、その下に羊の首が置かれ、火で乾燥させる意味を、合体した象形文字。
 「竈」の別読みはカマドで、「釜」や「窯」自体よりも穀物や食料品などを加熱調理する際に火を囲うための調理設備が「かまど」の意味。「穴+土+カエル足」の象形文字が組み合わされている。カエル足のつくりは「竈子(くどこ)=鼎(かなえ)」を象徴し3本足の煮炊きをする土器(図版参照)の意味だったが、これをひっくり反して使われて、「ゴトク」となった。さらに、それに適当な漢字を当てはめ「五徳」という漢字を当てたとか。(長い長いしょうもない蛇足で失礼。)
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劉鼎。殷の末期の鼎。(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%8E
これをひっくり反して使うようになったのがゴトクで、それに当て字を当てたのが「五徳」である。